どもっ
今回は満を持して遂に登場
デニム生地の紹介
まずは歴史から
そもそもジャパンジーンズの歴史は1964年に幕を明けます。
最初に誕生したのは大石貿易(創業者:大石哲夫)の『CANTON』。
当時は大石貿易がCANTON.Millsから生地をひき、アメリカから付属を買い、
箱根より西をマルオ被服(のちのBIGJOHN)が製造・販売権を獲得。
努力の末にジーンズの製造方法を開発。
(※当時日本で扱っていた生地は厚くて8oz位までだった為、デニムのような14ozもある生地を縫製する事が
非常に困難であった。。。)
ここで日本初のジーンズが誕生する
3年後
1967年にマルオ被服が東にも攻めるべく、オリジナルブランドを立ち上げる。
それがBIGJOHN誕生の瞬間である
当時世界3大紡績の中でもNo.1と称されるCONE.Millsから生地を輸入し、
オリジナルジーンズの生産に取り掛かる。(※この時代の詳細は1968モデル・1967モデル紹介の際に詳しく説明いたします。)
この時代にはまだ日本でデニムを作る技術が無く、輸入に頼らざるを得なかった。。。
さらに5年後
歴史が大きく動くのが、1972年
遂に日本人の夢であった、国産第一号になるブルーデニム『KD-8』が誕生する。
それはBIGJOHNと倉敷紡績(のちのKURABO)の協同開発による努力の結晶だった。
試作は幾度となく作られ、KD-8(ちなみにKurabo Denimの8作目の略)は誕生した。
この生地を用いて作られたのが、今回の1973モデル。
日本初の純国産ジーンズ誕生
当時のものがコチラ
今回開発にあたり、当時の背景を徹底的に分析。
そこでわかった事、
そ
れ
は
当時、日本で初の試みになるデニムを作るにあたって、各分野のプロ集団による共同開発が絶対不可欠であった。
その共同開発のチームの一つに貝原織布株式会社(のちのカイハラ)が入り、染色や製織を担当していた事がわかった。
そこで今回の復刻生地開発を当時を知るカイハラに依頼。
デッドストックの古着を頼りに当時のレシピと照らし合わせながら、復刻に取り掛かる
ここから長く険しい、生地開発が始まった。。。
今回思いのほか長く語ってしまったので、
復刻生地の開発は後半に続きます
詳しくは小ネタ⑪で
ジンバブエコットンなんかで、デニムといえば、すっかり、ムラ糸というイメージだったんですが、昔は、糸自体は、フラットだったんですね。
普通の織物でも、高速織機は、きれいなものを作る時はいいけども、味のある表情を出したいときは、ぺったりしておもしろくないといって、古い織機を探していたのを思い出しました。
投稿情報: たなか | 2010/02/10 16:28
>たなか様
コメントありがとうございます。
本来は粗悪な綿(短繊維)を紡績する際に、強度を上げる為に強撚で紡糸したのがムラ糸の原因になります。
ジンバブエの様な高価(超長繊維)の物は本来、繊細なドレスシャツなどに用いられていたので、90年代に入るまではこういった綿が使われる事は無かったんです。
今ではスーピマやジンバブエと言えば一般的に良いジーンズに使われる事が増えましたが、基本的には超長繊維のものなので、人工的にムラを形成しているものが多いんです。
昔(1973年)は均一なデニムが世の中に無かった中、職人気質な日本人が『より良い物を!!』っという思いで、紡糸・製織の段階で工夫しながら作りあげたんだと思います。
まさに日本ならではの特徴ではないでしょうか。
投稿情報: shimada | 2010/02/10 17:09
小ネタ11にコメントしたつもりがなぜか10に投稿してました。強撚にしてしまうとガリッとしてしまいそうなイメージなんですが、それも加工で、クリアしたんでしょうか?
最近は、長綿使いでも、ありがたられなくなってしまってますが、その当時の苦労の結晶が理論ではない風合い出してるんでしょうね。
投稿情報: たなか | 2010/02/15 12:50
>たなか様
KD-8は強撚の糸じゃないんです。
そもそも強撚の糸はVintageによくみられる、アメリカの作業着時代のものが多いんです。
KD-8は当時の知識と技術を集結させて、緻密な計算の元、作られたデニムなんです。
こういった緻密さの中に日本の物作りを感じます。
投稿情報: shimada | 2010/02/15 19:02