明けましておめでとうございます。今年初ブログのナガミネです。
皆さん初詣は済まされましたでしょうか?
僕は太宰府天満宮へ行きました。というか行かなければならない年でした。
それは、ビッグジョンと太宰府には意外なつながりがあるからです。
60年代初頭、学生服の製造を行っていたビッグジョンの前身 マルオ被服。
その頃、学生服の素材となっていたのはビニロンでしたが、その後テトロンという高機能の素材が開発され、テトロンが入手できなかったマルオ被服ではビニロン素材の学生服が在庫の山となりました。
ビニロンを使った作業服はコチラ(デジタルアーカイブより)
↓こちらが当時マルオ被服で使っていたビニロン素材の織りネーム。
そこで創業者 尾崎小太郎氏は大きな決断を降します。
1964年の秋に、西の営業担当の大島氏、東の営業担当の柏野氏ふたりに尾崎小太郎氏が突然声をかけたそうです。
「九州に支店を出す関係もあるし、太宰府に参拝しに行かねばならんのでついて来い」と。
太宰府天満宮はご存知の通り学問の神様として知られる菅原道真公を祀り、毎年多くの参拝がある全国区の天満宮。
しかし他方では高杉晋作や西郷隆盛ら明治維新の志士が出入りした革新の地でもあるそうです。
児島から太宰府まで車で夜通し3人で運転し、翌日の朝に太宰府へ到着。
参拝をすませ、その日の夜に大丸別荘という旅館で尾崎小太郎氏は大島・柏野両氏にこう問います。
「学生服をやめて、Gパン一本で勝負しようと思うがどう思うか?」と。
ふたりは賛同し、ここからジーンズ製造へ踏み出していくことになっていくわけです。
この半年後には国産初のジーンズCANTONを試行錯誤のうえ完成させ、67年にはBIG JOHNブランドの誕生へとストーリーはつながっていきます。
尾崎小太郎氏は太宰府へ赴く前に、すでに心の内では学生服からジーンズへ大きなシフトをする決断をし、おそらくは革新の地、太宰府でその成功の願いを込めて参拝していったのではないでしょうか。
「学生服からジーンズへ決断した地」それがビッグジョンと太宰府の関係です。
2010年は創業70周年という節目の年でもありますし、この話を知ってから僕は2010年の初詣は太宰府へ行くことを決めていました。
奇しくも高杉晋作と同じく長州男児の僕。
革新の地となった太宰府へ、ビッグジョン70周年の節目に参拝しに行かないわけにはいきません。
しかし全国の参拝者数BEST10にも入る太宰府天満宮。相当な混雑が想像できます。
下関を朝早く出て、車で8時半頃には太宰府ICに着きましたが、そこからの混雑具合は予想通りハンパなかったです。
やっとの思いで駐車場に着いたと思ったら参道にはすでに人の山。
さらに鳥居をくぐってから太鼓橋には人・人・人・そして人。
向こうに見えるのはまだ本殿ではなく桜門と呼ばれる門。
ちなみにここまでで、すでに小一時間経過。
さらに桜門をくぐって本殿までの200メートル程度に人が密集。
はたしてここから本殿までどれくらいで辿りつけるのでしょうか。。。
桜門を抜けて1時間かけて本殿前に到着。
そしてようやくお参り。
尾崎・大島・柏野三氏が決断した当時のことを思い浮かべながら、2010年が新しいビッグジョンの幕開けとなるよう願いを込めて。
最後に、ちょっとビックリしたことがひとつ、お参りする間にビッグジョンの社員をひとり見かけました。
夫婦で来ていたようなので特にこちらから声をかけませんでしたが、近くはないであろうこの太宰府まで来て参拝しに来たのは僕だけではなく他にもいたんだと知りました。
毎年来ているのか、僕と同じように70周年の節目を兼ねて来たのかわかりませんが、その時は寒さも忘れてなんか嬉しかったですね。
最近のコメント