皆さん こんにちは。
最近は天候が崩れる日が多いですが、今週あたりから
平年に戻ると某天気予報士さんが言っていました。
岡山は「晴れの国」と呼ばれていますが、こんな曇り天気が続くのも珍しいです。
来年度は
BIGJOHN創立75周年と日本国産ジ-ンズ50周年を同時に迎えます。
50 も 75 も区切りが良く、なにかしたい!と考えているこの頃です。
もちろん
お客様の皆さまに喜んで頂ける商品を! と
限定商品を着々と進めています。
国産50周年の歴史
「BIGJOHNの歴史」と「児島倉敷地区ジーンズ縫製業の歴史」は
切っても切れない歴史背景があります。
簡単ですが児島地区の歴史をコメントしたいと思います。
岡山児島地域(もともとは島)は塩を含む土地が多く、米栽培に向いていない土地と
天候に恵まれている背景から、綿栽培が盛んになり、続いて綿織物業や紡績業へと発展していきました。
織物業・紡績業・製糸業などと経緯はあるのですが、児島地区の織物業者の多くは足袋製品の製造に
シフトをしていきます。その足袋業者の製造技術の高さから、学生服や一般作業服製造へ転換していき
児島の主要産業に育っていきました。
ですが綿素材から合繊の時代が始まり業界の再編へと進みます。もともと地域協業の関係が築かれ構築
していた児島では大手の再編に揺れ、この地域協業の関係と仕組みが崩れていくのですが、
児島繊維会社は加工や染めなどに転換し活路を見い出していきます。
ビッグジョン(旧マルオ被服)はジーンズに着目し製品輸入をはじめ、続いてアメリカからデニム生地を輸入し
ジ-ンズの製造を開始しました。これが国産第一号のジ-ンズとなります。
1965年にわずか50反のデニム生地を輸入し試行錯誤の上、完成したのです。
これがジ-ンズの火付けとなり児島地域でジーンズ製造が盛んになっていきました。
デニム生地、ファスナ-、ボタンなどほとんどが輸入に頼っていましたが
やがて
児島倉敷の協業会社の皆さまと共に、念願のすべての素材が純国産
「BIGJOHN」がデビュ-していきます。
そして児島地域は
縫製技術はもちろん、日本独自の洗い加工などジーンズの世界を代表する地域に発展をしていったのです。
↓ 児島は瀬戸内海に面した美しい街です。
簡単でしたが児島の歴史でした。
BIGJOHNの歴史↓
http://www.bigjohn.co.jp/history/
50周年75周年モデルの発売はもちろん来年の発売となりますが
楽しみに!お待ちください。
BIGJOHN STAFF
75&50-BIGJOHN
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